ドンマイのタイミング

ドンマイ!

Don't mind!

和訳すれば「気にするな」。

この言葉の使い方について、深く真剣に考えたことのある人はどのくらいいるだろう?

今日、そんなことを激しく思ったのでこのブログに書いてみている。

こんなことがあった。

1台を使って3人で打っていた。

2対1で、分かりやすく言えばダブルス対シングルスのような感じだ。

自分はダブルス側で打っていたのだが、そのパートナーが、たまに「ドンマイ!」と発する人だった。

そのドンマイは何となく違和感を覚えるドンマイだった。何故違和感を覚えるのか、最初は明確には言語化できないというか、ちゃんと理解できないまま、何となく歯がゆい感じを抱きつつ打っていた。

ドンマイ!

時折発せられるドンマイ。違和感。ドンマイ。違和感。その連続。とは言え、貴重な練習時間を無駄にはしたくないので、特に気にすることはなく、打ち続ける。

何度目のドンマイだったか。突如、シングルスの方の人が言った。

 

「ドンマイじゃねーよ!」

 

すると、隣の台の人達も含めてみな笑いだした。自分も思わず吹き出した。ドンマイじゃねーよ。確かにその通りだ。よくぞ言ってくれた。よくぞ自分のみならず、みんなのもやもやを言語化してくれた。恐れることなく代弁してくれた。

 

要は、ドンマイのタイミングがおかしかったのだ。ドンマイを発する彼は、他人がミスをするたびにドンマイと発していたのだった。

 

特にミスを気にしてるわけではない人にドンマイというのはおかしい。例えば、ダブルスなどでパートナーがミスをして「ごめん」と言ったときに「ドンマイ」と声をかけるのは、相手の傷を癒やし、コミュニケーションの円滑化の作用を持っている、というのは分かる。なにしろ相手は自ら「ミスをしてしまった」と反省しているのだ。そこで使うドンマイこそ、正しいドンマイだろう。ドンマイが本来持つべき、優しい、温かいテクスチュアが感じられる。

 

しかし、ドンマイは使う場面を間違えると、鋭く襲いかかる刃にもなる。

 

ミスをした人にやたらめったらドンマイと言うのは、傷口に塩を塗ることと同じだ。

 

ミスというか、相手のボールが鋭くて、相手の方が上手(うわて)だったからミスをしてしまった、という場面は少なくない。

 

それはむしろミスではなく相手のナイスプレイだった、あのボールを返せなかったのは仕方がなかったのだ、何しろ相手のナイスプレイだったのだから…そのようなシチュエーションでドンマイと言われれば、確かに違和感を覚えるし、虫の居所によっては頭に来るだろう。

 

ドンマイじゃねーよ!

 

その心からの叫びを聞いたとき、優しいように見えた言葉が、実は人を殴りつけるような攻撃的な側面も持ち合わせているのだ、ということが分かった瞬間だった。

 

ちなみに、ドンマイと言った人とドンマイじゃねーよと言った人は、子供の頃からの友人同士なので、特にその後の遺恨はない。